AZPの歴史
ただの夢として始まった物でもやり続ければ形になる時が来る。
なぜ片目のパイロット前田伸二が多くの人に大事なメッセージを送り続けるのか。AZPの歴史にはいろんな思いが詰まっています。
Jan 20, 2005
すべてはこの一枚の写真から始まった。
この日、日本生まれの前田伸二は片目のパイロットになった。
2008
初めの第一歩。
講演活動は2008年から始まり、エアロジパングプロジェクトの起源となる。
前田伸二の母校である日本航空学園でも実施され、現在では5000人以上の人たちが前田の講演に参加しました。
2015
人を助けたいという思い。
講演を初めて7年目、前田はあることに気づいていた。
年々、元気のない学生、そして大人に遭遇することに関心を持つようになった。なぜなら前田が事故に遭遇した大学4年間の時の悩みと経験と彼らが重なったからである。「自分が動かなければ」と。。。
2018
Aero Zypangu Projectを立ち上げ、本格的に活動を開始。
シアトルで凄腕のバクスター国際法律事務所、恵理子弁護士に相談し、非課税となる501c3の非営利団体を設立する。恵理子弁護士は設立後も当NPOの担当弁護士とし、そしてPro bonoとして当団体をサポートして戴いている。
変わらず参加者に伝え続けること。
2008年から変わらず参加者に伝えること「生きている喜び、そして自分の夢目標に挑戦する楽しさ、そしてその難しさ。。。」。何度でも同じことを繰り返して飾ることなく伝える。それが私たちエアロジパングのモットーとすること。
愛犬ルーシーとついに世界へ
前田には癌で片足を失ったルーシーというラブラドール犬を飼っていた。
不屈の精神とは彼女のことで毎朝、前田をベットから引きずり落とし、一緒に遊ぼうと笑顔を振りまく。。。足れば普通の犬より速く走る彼女。
生きることに全力疾走だった。そんな彼女の精神を受け継ぎ、世界一周をする機体を「ルーシー」と命名した。
素晴らしい仲間と共に
エアロジパングプロジェクトは家族、仲間、同僚、など愛する人たちを
どのようにサポートするかをテーマに活動してきました。このNPOはそんな思いを汲んだスタッフによって作り上げられています。
多くの人たちに支えられて今があることを忘れずに。
飛行機づくり、そして空を飛ぶ喜びを教えてくれた前田の元上司の牧野。
世界一周を同型のボナンザで実現し、今は前田のよき師匠となったエイドリアン。この活動は間違いなく様々な人たちの心のこもった応援があって成り立っています。